作品詳細
鎌倉時代仮名消息
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制作者
北条一門の女性
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制作年
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制作時代/時期
鎌倉時代/13~14世紀
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コレクション名(資料群)
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材質/技法
紙本
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員数
7通16紙合装
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受取人
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女性による複数の手紙(消息)を一巻にまとめたもの。紙の幅や内容などから全14紙のうち、1紙と2紙、3紙と4紙、5紙と6紙、7紙と8紙、9紙と10紙、11紙と12紙、13紙と14紙がそれぞれ一通とみられ、あわせて7通が含まれると推測されています。それぞれの内容ははっきりしないが「甲斐御房の御方」(6紙)、「心戒の御房 御返事」(12紙)、「ちやうらう(長老)の御方」(13紙)などの記述から、僧侶に宛てた手紙であること、また「散らし書き」と言われる優美な筆運びから、比較的身分の高い女性によって書かれたことが分かる。 これら手紙の紙背には聖教が書き写されていて、10紙目の紙背に「薄草子口決第十三」とあることから、鎌倉時代の僧・頼瑜が記した『薄草子口決』の写しであると分かる。『薄草子口決』とは、醍醐寺三宝院(京都市)の僧侶・成賢が曼荼羅の諸尊を供養する法会の作法を記した『薄草子』に、実際に法会を行う際に伝授される口伝 (口決)を加えてまとめたもの。当時、真言密教では教義の実践やその作法・修行方法について様々な流派が生まれており、その拠点の一つが醍醐寺。頼瑜は成賢の弟子・憲深に三宝院流を受法され、翌弘長3年(1263)に同書を著している。 頼瑜が活動拠点を根来寺(和歌山県)に移した後、弟子の頼縁は『薄草子口決』を含む三宝院流聖教を精力的に書写し、関東流布を目的として永仁3年(1295)に鎌倉に下向した。頼縁の足跡は鎌倉を中心に慈根寺(八王子市)や小手保河㑨坊(福島県川㑨町)などに広がり、当時、真言律宗の道場となって南宋の禅僧たちも受け入れていた称名寺(横浜市金沢区)でも、3代長老・釼阿のもとで同書が書写されていた。手紙に登場する僧「心戒」は、この釼阿のもとで聖教類の書写に従事した人物であることから、書状は金沢北条氏一族の女性たちによって、称名寺僧侶に宛てて書かれたものと考えられる。